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フット・プリンツ

宗教は違えども、本質的なことはキリスト教とも似かよっている。

最近、読んだ

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には、そのような類似内容箇所が多々あります。

そのなかで、先ずはアメリカの詩をご紹介。


『足跡(Footprints)』<154・155ページ>

ある夜、私は夢を見た。

私は、神様とともに砂浜を歩いていた。

振り返ると、砂浜には二人分の足跡が残っていた。

一つは私のもので、一つは神様のものだった。

これは、これまでの私の人生の足跡であった。

足跡を見ていると、私の人生の様々な場面が、走馬灯の

ように思い出された。


よく見ると、これまでの私の人生の中で、足跡が一人分しか

ないときが、何度もあることに気づいた。

それは、私が辛く悲しい思いをしていた時期ばかりだった。

このことがいつも私の心を乱していたので、

私はその悩みについて神様にお尋ねした。


「神様、あなたはずっといっしょにいてくれるものと思っていました。

しかし、私がもっとも辛かった時期には、一人分の足跡しか残って

いません。あなたを最も必要としていた時に、どうして私をお見捨てに

なられたのですか?」

すると、神様は答えておっしゃった。

「いとしい大切な我が子よ。

私は、愛するお前を、決して見捨てたりしない。

お前をひとりぼっちにはしない。

一人分しかない足跡は、お前の足跡ではないよ。

その足跡は、私の足跡なのだよ。

悲しみに打ちひしがれるお前を背負って歩いた 私の足跡なのだよ。」
                 (この本での和訳を一部変更しています)


阿弥陀様や亡くなった家族・ご先祖は、『いつも私を照らし見護っていて

くださる』ということや、お遍路での同行二人と この詩の意味するところは同じだ。

歎異抄に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」と

ありますが、私達にではなく、この私に阿弥陀如来は ついていてくださるのだと。


この本の著者(牧師さん)が飛行機に搭乗中、爆発音がし

祈りによって『落ちても大丈夫、着いても大丈夫』という<200・201ページ>

境地を得たことは、これも仏教では安心(あんじん)と言い表わします。


ご主人を亡くされた信仰深き婦人が、『主人は亡くなったのではない、

先に旅立ち、私を待っていてくれるのですよ』というくだり<97・98ページ>は、

浄土真宗では倶会一処

他にも仏教の み教えと違いがないところがあります。


今回の震災で身内を亡くされた方々らが、月日が経ち

振り返ることができるようになった時には、善知識として仰ぐことが

でき、やがては お浄土で会える(倶会一処)と思われることが

できればよいが。

【倶会一処・くえいっしょ】大辞林より
ともに一か所に会すること。阿弥陀経で、死後、浄土に往生すると、
凡夫も聖者たちとひと所に暮らせること。また、この世で死ぬのは別々でも、
浄土で再び会する意にも解される。

【 練 習 内 容 】

3月19日(土) ―


3月20日(日) ―
先ほど本日の業務?が終了しましたが、雨のためラン断念。
明日は終日ムリだし・・・。
それよりも、長野マラソン開催の雲行きがアヤシイ。
22日又は23日に事務局が結論を出すらしい。
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コメント
1118:No title by 向かい側 on 2011/03/20 at 20:25:03

良い話ありがとうございました

こんなとこで、両親の供養が出来るなんて
思いもしませんでした。

1119:No title by リュウ on 2011/03/20 at 22:08:41

向かい側さんへ

今回は宗教的なことでもあり、とくに何もないやろーと思ってましたので
早々のコメントをありがとうございます。

もう少しきわめて書けば良かったのですが、難しいことが苦手なもんで・・・。

今日、びっくらこいたことが・・・。
長野Mがもし中止になればエントリー代の8,500円返金されない!
(大会概要に明記してありましたが、そんなん読んでませんがな)
他の大会なら返してくれるのに・・。開催されることを願うばかりです。

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